最近、いくつかのブログやメルマガで似たような思想に出会う。
気になったのでその一番分かりやすい例としてこれをあげよう。
*************************************************************
親野智可等は、
教育基本法の「改正?」に反対です。
教育基本法に「国を愛する態度を養う」などの「徳目」を盛り込む
べきではありません。
このような徳目を法律で決めるのは大変危ないことです。
それに合わない人は、かつてのように「非国民」と言われるように
なってしまいます。
国家の方針に反対する人は、かつてのように「非国民」と言われる
ようになるのです。
そして、だんだん自由にものを言うことができなくなってしまうの
です。
国家というものは、いつも、少しずつ少しずつ、1ミリずつ1ミリ
ずつ、目的に向かって進んでいくものです。
みんなが気づいたときには、もう何も言えない状態になっていたと
いうことになるのです。
教育基本法を変えるのは、国家に都合のよい人間を育てるためです。
子どもは、国家のためにあるのではありません。
もし
教育基本法を変えてしまったら、そして、憲法を変えてしまっ
たら、その後に控えているのが徴兵制です。
そんなことにならないようにしなくてはなりません。
私は、自分の教え子たちに戦場に行ってほしくありません。
「親力で決まる子供の将来 」・・No742
発行者・・・
親野智可等 より引用
***********************************************************
自分は、親野さんの、著書を読んで感じるところが少なからず
あるものである。
だから、メルマガも登録している。
だから、親野先生への誹謗中傷ではないことをあらかじめ断っておく。
この考え方は、結構、教師の口から聞くことが多い。
ある意味、最大の「戦後レジューム」なのかもしれない。
もちろん先の大戦の悲しみを知っている。
長崎にも広島にもいったし、わが両親も戦時中生まれである。
だから、
戦争を避けたいと思う心も強い。
しかし、この考えそのものを、もう一度議論せねばならない。
今、問題になっている教育問題は、
ある意味、この考え方から始まっているといってもいい。
いうなれば、「
戦後教育が今の教育を作った」のである。
戦争の悲劇により、
日本人は「日本が悪かったから、
戦争が起こったんだ」と
思いこまされた。
そして、「日本は、もう悪いことはしません」という教育を
授けることが正義だと思われてきた。
そして、その流れが、国を否定し、
「地球民」とかいうフレーズを作り、
そして「人間の命は、地球よりも重い」とかいう
現実ありえないフレーズを、テーゼとしてしまった。
今の子供たちの問題の原因は、
「公のことを考えることができなくなった」ことによるものである。
「自分のことだけを考えていい」ということを教えすぎたのである。
「国のことを考えるのは、いけないこと」と教えすぎたのである。
戦後の出発点として、前述の言葉は分からなくもない。
しかし、戦後60年、日本の立場はまったく変わっているのである。
先生たちは言う。
(親野さんの言葉だが、不思議と先生たち共通して言う)
「もし
教育基本法を変えてしまったら、そして、憲法を変えてしまっ
たら、その後に控えているのが徴兵制です。
そんなことにならないようにしなくてはなりません。
私は、自分の教え子たちに戦場に行ってほしくありません。」
そんなことは誰も望んでない。
誰も
戦争なんていきたくないし、行かせたくない。
(一部の
戦争好きは別として)
だけど、国を守らないと国が滅びるから国を守る。
だから、どの国にも軍隊があり、そして「尊敬されて」いるのだろう。
自分の命より、国を取ったから。
「私」より「公」を取ったから。
戦中の日本は、異常だった。
行き過ぎて、完全にハンドルを切りすぎていた。
そして今、また逆のハンドルを切りすぎている。
だから、教育がおかしくなる。
この言葉を聴くたびに、おもう。
「じゃあ、他国から、北朝鮮から攻められたらどうするのか?」と。
前述の言葉は、日本性悪説に則っている。
しかし、現在の状況では、前提が崩れているのである。
今の日本は、むしろ「攻められる対象」の国になっている。
豊かで、でも、武装もしていない。
アメリカが守ってくれているから、誰も攻めないだけ。
そのことを忘れてはいけない。
国際社会は、今も弱肉強食の社会の中にある。
戦争は、今現在も起こり続けており、
それは、クラウゼビッツがいうように「政治の延長」である
ケンカをなくすことができないように、
世界から、
戦争をなくすことは難しいのである。
平和が当たり前なのではなく、「
戦争があたりまえ」なのである。
だからこそ、
戦争に巻き込まれないようにするためには
高度な智慧と、
戦争を退ける力が必要なのである。
それが、今の日本では、日米の同盟なのであろう。
「憲法9条が日本を守る」なんてことを言っている人もいるが、
それは無いだろう。
そんなことで、
戦争をしない国なら、最初から他国に攻め入ったりしない。
(もちろん、9条が、世界の尊敬の原因のひとつにはなるだろうが)
こういうことを書くと、
「
戦争の体験が薄れた」とか「もっと伝えないと」と
いう人もいるだろうが、違う。
その考え方自体が「中道」から離れているのである。
「核武装論議」も、同じ構図だ。
言った人々も、「本当に日本が核武装する」とは
最初から思っていないのである。
ただ、「議論してはいけない。というのはおかしい」と
いっているだけだ。
「核武装をすべきだと議論しろ」と言っているわけではない。
「宋襄の仁」の故事成語のように日本がならないように、
安倍総理には、今のまま舵取りを薦めて欲しい。
日本に残る「戦後レジュームからの船出」とはそういうことだ。
戦後に作られた「よき思想」のなかで、
時代から遅れてしまったもの、行き過ぎているものを、
見つめなおすことが
必要になっているということだ。
伊雲
FC2 ブログランキング参加中 よろしく!
タグ : 親野智可等 戦争 戦後教育 教育基本法