この間の記事では、日本の歴史を踏まえて、
「日本はなぜ勉強しなければならないのか」ということについて
書いてみた。
今回は、その第2弾として、
また、別の側面から、「なぜ、勉強しなくてはならないのか」
ということについて話してみたい。
基本的には、子供たちは、(というか大人もそうであるが)
勉強することの意味ということをわかっていないように思う。
有名な狼少女の例を引くまでもなく、
人間は、人間として生まれただけでは人間になれない。
その後の学習が大きく物を言う。
昨今、「格差社会」について、さまざまなことを言われている。
このことに対して、おそらく反対のことを言ったと思われているのは、福沢諭吉ではないだろうか。
彼は、「学問のすすめ」の中で、
「天は、人の上に人を作らず、人の下に人を作らず」
といった。
これにより、彼は「平等主義の権化」と思われているところがある。
しかし、これは、
実は、第2代米国大統領トーマス・ジェファーソンの言葉であり、
「と言えり(と言われているが)」と続いている。
そして、この言葉の下にはこう続く。
サレドモ今広クコノ人間世界ヲ見渡スニ,カシコキ人アリ,
オロカナル人アリ,貧シキモアリ,富メルモアリ,
貴人モアリ,下人モアリテ,ソノ有様雲ト泥トノ
相違アルニ似タルハ何ゾヤ
そして、この言葉の答えとして、彼は、
それは、「学問」の力である。
として、もっと学問をせよと説いた。
だから、「学問のすすめ」というタイトルなのである。
この本は、福沢諭吉が、
本来、人間は平等であるのに、
(現実は)平等ではないのはなぜか?
それは、勉強したかしてないかの差である。
と、説くために、書いた本なのである。
(というか、もともと、中津の学生に向かって話した
講演である)
おそらく、「学問のすすめ」を読んだことがない人は、
誤解しているのでないだろうか。
こういう発想は、現在でもあちこちにある。
要するに、「豊かになるためには、まず勉強することだ」と
彼は、説いたのである。
世界的にもこの思想は正しい。
インドや中国などでは、この言葉のように、
勉強することによって、国を富まそうとしている。
インドで豊かになるためには、SEになるしかない。
そのためには、数学の勉強ができる必要がある。
そして、日本も、昔は、そうであったのである。
(すでに過去形ではあるが)
明治維新以後、政府が、西洋に対抗するために、
殖産興業をとったとき、その足場を支えるために
この「学問」の力で必要だった。
だからこそ、当時、国民の反対を押し切って、
学校を作ったのだ。
学校は、作られた当初、国民の多くに反対され、
一揆が起こったことは有名である。
当時の子供たちは、「働き手」であり、
その働き手を失うことは、大きな損失だった。
しかし、国としての豊かさを手に入れるために、
その反対を押し切って、「学制」を引いた。
そして、それは、世界の中でも、同じである。
国を豊かにするためには、教育を強くする。
これが、世界の常識である。
もちろん、福沢諭吉が学べといったのは、
実学で、過去の教養ではないし、
政府が、国民に学ばせる学問には
偏りがあるのも事実である。
しかし、「学ぶことは、豊かさにつながる」ということは、
世界の人々の認識であるのだ。
日本のように、
これだけ、多くの人が平等に学べる世界というのは、
実は、ほとんどない。
世界の趨勢は、まだ、明治維新のころの日本と
あまり変わりない。
日本は、豊かになっているので
このことがわからないだけなのだ。
以前、世界名作劇場のある作品で、
主人公が「僕は、すべての子供たちが、
学ぶことのできる世界を作りたいのだ」といっていたが、
それほど、「学べる」ということは
そのこと自体の中に、価値を含んでいるのである。
知ることにより、自分の世界が広がり、
活躍できるフィールドが広がる。
そのこと自体が「幸福」なのである。
そして、そのついた「力」が豊かさを生み出す。
そういう人が大量にいることで、
国は栄えるのである。
そして、その差が、「格差」として生まれるのである。
エドュケーショナル・デバイドという言葉がある。
親の教育格差が、豊かさと子の教育格差につながっている。
しかし、これを、作り出したのは、
実は、文科省が、30年近くにわたって行ってきた
「ゆとり教育」である。
教育の力によって、生み出した格差であるから、
日本の格差を、公平にするのは、
学問の力であらねばならないのである。
そして、それが、歴史が教えている真実である。
格差を福祉や国にしてもらうことで、
なんとかしようとした国家は、滅んできた。
自助努力によって、豊かさを手に入れて、
格差を自力で克服してきた国は、繁栄を謳歌してきた。
日本は、その境に立っている。
教育問題は、すでに、国の存亡を駆けたところに立っている。
そのことを、全国民が認識しなければならないところに
立っているのだ。
それが、「なぜ、勉強しなければならないのか」という
ことのもうひとつの答えである。
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