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今日の仏法真理 ~幸福の科学 大川隆法 総裁の御著書より~



■ 『真の平和に向けて』 まえがき
Date: 2015-04-27 (Mon)

昭和天皇は、ご生前、戦後の沖縄の人に
会えないでおられたことを
残念に思っておられた。
御魂として、沖縄の地でその旨を私に伝えて来られた。
昭和天皇の御心を受けて、本説法はなされた。

首相官邸は、決して迷走してはならない。
日本の戦後は終わった。
新しい日本を創造しなくてはならない。
私は、輝ける国・日本を創り、
沖縄を二度と植民地にはさせないつもりである。
救世主の声を信じるがよい。




             過去の仏法真理
http://homepage1.nifty.com/ikumo/butugon/butugon.html

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DATE: CATEGORY:雑記
携帯で、ニュースサイトを、昼過ぎに見たら、
松岡農相の自殺のニュースが流れていた。

追い詰められていたのかもしれないが、
やはりという気持ちがある。

同じく、その下を見ると、ZARDの坂井泉水が、
病院で事故死とあった、これも驚いた。

自分の中では、ZARDと死が結びつかなかった。

しかし、どうやら、こちらも自殺の可能性があるらしい。

この二つの死が、なんとなくせつないそんな一日だった。

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DATE: CATEGORY:雑記
コメントをいただきありがとうございます。
         
結構硬いブログになっているので、
少し、やわらかい話題も書こうかなと
思っているところではあります。

これからもよろしくおねがいします。

               伊雲
DATE: CATEGORY:教育
教場に新しい先生が来た。
自分が担当している科目の先生なので、その科目を担当してもらって、
自分は、できるほかの科目などの担当になった。

ところが、自分が教えていた時より、格段に成績が下がってしまった。

これが、とても切ない。

教場としては、そして、塾としては、新しい先生を使えるレベルにしなくてはならない。
そのためには、少しぐらいできなくても、
がまんして、つかえるように指導していくしかない。

そして、自分もかなりベテランの域に入っているので、
そういう立場におかれていいる。

しかし、苦労して、クラスを作り上げて、
やっと成績が出てくるようになったクラスなど、
正直、譲りたくないという気持ちが出てくるのも事実だ。

自分が続けてやれば、それなりの成績だったろうにと思ってしまう。

実際には、もしかしたら、自分がやってもあんまりかわらないのかもしれないが、
そういう思いが拭い去れないときもある。

しかし、新しい先生を育てるのも自分の仕事である。
新しい先生が、成績を出せないなら、
前に担当していた自分が、指導が十分でないということでもある。

このあたりが、つらいところだ。

新しい先生が、さっさと成績をだしてしまうと、
それはそれで、嫉妬心がおこったりするし、(笑)
ださなければださないで、生徒に申し訳ない。

こういうことを、感じるにつれ、自分が初めて授業をした時を思い出す。

大学の時、バイトでやっていたこともあって、
この仕事に就くときに、「まあ、自分なら大丈夫だろう」という思いがあった。
多少、慢心していたのかもしれない。
しかし、実際に授業に入ってみると、その結果は無残なものだった。

当時が、教場が荒れていたというのも事実だが、
入った中3のクラスには総スカンをくらい、
小5のクラスでは、生徒が授業の間も普通に私語をしている始末。
生徒のコントロールが、まったくできていなかったのだ。

生徒をなんとか、コントロールしようと怒鳴り散らした挙句、退塾者を出し、
中2のクラスには、保護者から、
「あの先生からは教えてもらえません」とまで、言われた。

もちろん、生徒のしつけの問題もあるが、
自分自身の力量のなさがやはり一番の原因だったと思う。

今、逆に立場に立つと、
そのとき、我慢して授業をさせてくれた当時の上司のおかげで、
今の自分があるのだなとつくづく思う。

そう思うとき、新しい先生をきちんと成績を出せるレベルにまで、育てることが、
恩返しになるのだろうと思う。

しかし、これがなかなか難しい。
やっぱり、自分が授業したいと思う。

それを、ぐっと我慢して、アドバイスをし続ける。
それが、先輩教師の仕事なのだろうと思う。

『伊雲の塾講日記』(ID:0000231728)
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DATE: CATEGORY:教育
前のメルマガで、数学・国語についての勉強法について、話してみた。
自分が、基本的に担当している科目はこの二科目なので、
門外漢の英語について話すことは、少しはばかれるのだが、
生徒を見ていて、「英語が苦手」という生徒が多いので、
少し自分の体験と重ねて話をしたい。

最近、「小学校のころに英語をやっていました」という生徒が結構いる。
小学校から英語というのは、結構はやっているようで、塾の生徒でも結構多い。

その生徒が、中学校からの英語が、果たして得意か否か。
その答えは、然り、否である。

然りの部分は、小学校から英語を勉強している生徒は、発音がいい。
そして、リスニングは非常にできる。

しかし、この生徒たち、「書くこと」と「文法」に関しては別である。
単語テストをすると、意外とできなかったりする。

これは、おそらく、日本語を話している私たちが、
国語の成績が必ずしもいいとは限らないのとおなじ現象だろう。

聞いたり、話したりすることはできるが、書いたり、読んだりするとまた別なのだろう。
よく考えれば、学校でやっている英語の授業は、
国語で言う「文法」を延々とやっているわけで、いわゆる日常会話とは違うのだろう。

最近は、「オーラルコミュニケーションが、大事である」ということで、
学校でも会話中心だ。

中一の教科書など、はっきりいって、
「これでどうやって授業するんだろう」と思うほど、
内容が薄い。

以前のような文法中心ではなく、ほとんどが会話形式。
はっきりいって、このような教科書で英語ができるようになるか。はなはだ不安である。

中学で、英語を苦手にすると、高校に引っ張る。
英語が苦手な人は多いが、その元は中学一年の内容から躓いているのだと思う。
最初が何事も肝心である。

それでは、「中学で、英語を得意にするには」という題なので、
それについて話をしたい。

まず、先に「教科書だけでは心もとない」と書いた。
では、どうすればいいのか。

塾などでは、当然、別のテキストを使っているだろう。
そういうテキストがある人は、それを勉強するといいだろう。

塾などに言ってない人(そういう人が今どきいるのかどうかわからないが)
もしくは、学校の英語のレベルを上げたい人は、どうするか。

その一番の武器は「教科書ガイド」である。

教科書ガイドは、悪だという人もいるが、自分はそう思わない。

英語ほど、学校の教科書の情報量が少ない科目はないのではないかと思う。
はっきりいって、あの説明だけで、理解するのは無理だろう。

教科書ガイドには、訳も書いてある。
単語の発音も書いてある。
他の情報も書いてある。
問題も載っている。
そして、最近の教科書ガイドには、CDもついている。
リスニングの練習にもなる。

基本テキストとして、教科書ガイドは必要だ。
このくらいの情報がないと、英語の勉強をするための基本知識も手に入らないと思う。

アメリカのテキストが、日本の数倍厚いのは、有名な話だが、
日本でも、教科書ガイドレベルの情報がないと
「教科書」とはいえないのではないかと思う。

ためしに買って勉強に使ってほしい。
これで、自分は実際に効果を上げた。

その他、英語を得意になる方法だが、
「まず英語の文型を覚えたほうがいい」と自分は思う。

基本的に英語は、

「主語」+「動詞」+「直接目的語」+「間接目的語」の語形が基本だ。
(もちろん他にもある)

しかし、自分が生徒に教えるときには、

「誰が」+「どうする」+「~に」+「~を」

と言っていた。

このどうする(述語)は、日本語では、文の最後にくるのが普通である。
しかし、英語では「せっかちなので」最初に述語をいう。
そう教える。

私はトムに本をあげました。だとしたら

私は あげた。誰に?トムに 何を?本を と考えるべしと。

そうすると

I give Tom a book.

という順番で書ける。

これをできるようにして、他の文型を考える。

英語の語順を、日本語で考えるというのは日本語の特徴を生かした英語の勉強法だ。

日本語は、「助詞」があるおかげで、順序を入れ替えても意味が通じる。

よく、中国人のものまねで、
「私 あげるよ あなた ほんを」のようにいうことがあるが、
それは実は中国語の文法どおりに、単語を並べているのだ。

そして、その順番は、英語も同じである。

だから、日本語で、その順番だと思えておき、英語の単語を並べる。
それで、英語の文法はかなり楽になる。

基本的に、中学英語では、日本語を中心に文法を考えたほうがいい。
もちろん、本格的な英語の時には、それでは通用しないかもしれないが、
中学英語で、成績を上げるにはそのほうがよい。

また、英語の文章は、基本的には、

(1)be動詞型   (進行形・受動態など)
(2)一般動詞型  
(3)助動詞型   (can must mayなど)

の三つのパターンで、疑問文・否定文は作れる。
個別に覚えるのではなくて、まとめて覚えてしまうとらくだ。

授業をするときには、「進行形は、be動詞型の文だ」とか言っている。
現在完了形も、変形の助動詞型になるだろう。

こういう風に文法の核となるところを、先に捕まえておくと楽になる。

そして、絶対にしてほしいのが音読だ。
教科書の英文を、繰り返し音読してほしい。
できれば、教科書ガイド付属のCDのあとについて、繰りかえす。

これは「シャドウイング」といって、英語の学習法として有名なやり方だ。

日本語を中心に考えていると、英語的な発音ができなくなるときがあるので、
このシャドウイングは、かなり有効である。

また、中一の夏休みまでに、代名詞(I my me mine)の表と
数・曜日・月などの基本的な英単語を、
中二の夏休みまでに、不規則動詞の表を、(できれば、過去分詞まで)
覚えると、かなり楽になる。

過去分詞は、中二の時点では出てこないが、
現在完了・受動態・分詞の役割など単元ででてくる重要語句だ。
早く覚えるに限るが、なかなか覚えきれない。

英語は、理解するだけではだめで、
こういう「暗記すべき単語」をしっかり覚えているかが、勝負となる。

ちなみに、中一の終わりまでに、
基本的な動詞(不規則動詞の表にでてくる動詞)を原形で、覚えておくべきだ。
こういう要となる単語をきちんと覚えているかで、英語は後の勉強が違う。
現在完了形は、「have +過去分詞」だが、
そもそも「過去分詞」を書けなければ、話にならない。

以上いろいろ述べてきた。

まだ、他にも、「フォニックス」のことなど、言いたいことはあるが、
あんまり、門外漢の自分が言うのも気が引ける。

しかし、「英語を苦手」にすると、あとあと、苦しくなる。
だから、英語をしっかりとマスターしてほしい。

英語は、「暗記科目」である。
「理解する」ということは、だれでもできる。そんなに難しくない。
要は、「どれだけ覚えれるか」ということであるということを、
改めて、言っておきたい。

『伊雲の塾講日記』(ID:0000231728)
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DATE: CATEGORY:教育
さて、解いていくときに、大事なことは何だろう。 

まずは、
「最後まで文章を読まなくても解ける問題は先に解く」
ということだ。

このことがわかっていない生徒が結構多い。
文章を全文読んでから、問題を解こうとするのだ。

しかし、指示語の問題とか、接続語の問題は、
最後まで読む必要がないことが多い。
読んでいって問題にぶち当たったところで、解ける問題は解く。

実際、自分が解くときは、
大体五行から十行くらいまでよんで、何の話かをつかんだら、
さっさと問題に入る。

最後まで読んで問題を解くのではなく、
問題を解きながら、読み進めていくのだ。

これができない生徒が多い。
そして、時間切れで最後までいかない。

傍線部問題は、
「前三行・後三行の中に答えがある」というのが基本だ。
それでも、見つからなければ、さらに前後三行。
それでも、見つからなければ、文の最後、文の最初付近。
(最後は要旨・最初は話題)
それでも、見つからないときに、はじめて全文を探す。

しかし、全文を最初から読んで解くのは時間のロスである。
だいたい国語の問題は、文章の順番に問題を作っている。
だから、解きながら読んでも、ちゃんと読めるようになっている。

これができるようになるだけで、国語の点数はかなり上がる。

また、国語ができない生徒のほとんどが、「感性」で解こうとする。
しかし、国語の答えは、「誰が解いても同じ答えになる」ように作ってある。

そのことが、次の結論を導く。

国語の問題を解くときに大事なのは、
「作者の考え方」を読み取ることだけではない。

「出題者の考え方」を読み取ることである。

どういうことかというと、
「問いに出てくる言葉をよく読むこと」だ。
注意すべき言葉は、「限定をかけている言葉」である。

「最も」とか「具体的に」とか「行動について」とか「様子について」とかいう言葉は、
「答えを導くためのヒント」であり、
また、出題者が問題を作るときに苦労した跡でもある。(笑)

テストである以上、答えがいっぱい出てきては困る。
しかし、国語の文章というのは、同じような表現が繰り返し出てくる。
だから、「これが答えです」ということを確定するためには、
限定した問題にせざるをえない。

逆に言うと、こういう表現を見落とすと
正解にたどり着かないということでもある。

また、「書き抜きなさい」の字数指定も似たところがある。
「字数指定のせいで、答えがわかっているのに、字数が合わない」というときもある。

そのときは、
「それは意味はあっているけど、同じことを他で言っているよ」という
出題者の隠れたメッセージだと思わねばならない。

論説文を読む時に、大事なのは「言い換え」を見抜くことだ。
人間は、難しいことを誰かに説明するときは、
同じことを手をかえ、品をかえ、何度もいう。
言いたいことは、一つでも、抽象的にいっても解らなければ、具体的に説明する。
だから、難しい文章が出てきたら、
「たとえば」とか「つまり」のあとと比べてみて、
この文章が何を意味しているか読み取る。

答えになりそうなところは、何箇所かある。
しかし、答えを一つにするために、
問いに限定語句をつけるのである。

だから、その限定語句を考慮に入れずに解くと、
正解できないのである。

だから、本当は、
国語の問題は、文章中にポイントがあるのではなくて、
「問い」の中にポイントがある。

十年ぐらい前だったか、
「例の方法」という国語の解き方が、有名になったことがある。
これは、「選択問題を、問題文を読まずに解く」というもので、
選択問題の選択肢を読めば、文章を読まなくても答えがわかる、というものだ。

現実に、選択問題は、基本的に「答えの選択肢」をもとにして、「間違いの選択肢」を作る。
そのときに、基本的には、「明らかに間違っている選択肢」を二つ程度と、
「間違えやすい選択肢」を一つ作って四択ということが多い。
(最近は、こんなに単純ではないだろうが)

そうすると、選択問題の解き方は、まず「消去法」である。
明らかに間違っているものを消す。
そうすると、怪しいのが二つぐらい残る。

ここで、さっきの「問い」の限定を読み取らねばならない。
「様子として最も適当なもの」なのか。
「行動として最も適当なもの」なのか。
この「最も適当なもの」が、結構、曲者。
「比べてどっちが、文意に合っているか」を考えねばならない。

そのとき、捨てるべき選択肢は、
「一般的には正しいが、文章からは読み取れないもの」だ。
ここが、「この文章を読んで」の意味である。

国語が得意な子が、国語でこけるときがある。
それは、あまりに国語の文章を解きすぎていて、
「正解らしきもの」を自分で思い込んでしまうことだ。

たとえば、問題で環境問題がでれば、
基本的には「温暖化」や、「文明」は悪だ。
しかし、「作者がどういう風に書いているかどうか」によって、
答えは変わってくるのである。
人によっては、「温暖化が、世の中を救う」という人もいるかもしれない。
(まあ、そんな文章は入試には出ないだろうが)
しかし、文章中にそう書いてあったら、
それが「正解」なのである。

最終的に「文章から読み取れないもの」は、
正解にならないのだ。

まとめると、
選択問題は、(1)消去法で「明らかに違っているものを消す。
      (2)「文章に書いてあることで」最も適しているものを答えとする。

というのが、基本的な解き方である。

国語には解き方があるのである。
数学と同じように、
「こうすれば答えになる」という解き方がある。
こういう「国語の解き方」は、学校では教えてくれない。
こういう授業ができるのが塾の醍醐味である。

塾の授業が「国語的」か?と問われると、微妙なところがある。
学校のように文章をじっくり読む授業も必要だと思う。
ただ、現実問題として、「国語が解けない」という生徒が結構多い。
だから、国語を得意科目にしておけば、武器として使える。
そういう意味では、国語は、実は「努力すれば報われ、役に立つ」科目である。

しかし、やらないんだよな。みんな。

ちなみに、文法や漢字などの暗記事項をしっかり覚えることも大事である。
国語は、英語に比べると覚えることが少ない。

古文なども、最初に、英語のつもりで単語を覚えると得意科目にできる。
国語を得意科目にすると、結構、強い。

どうか、これを参考にして国語の勉強をしてほしい。

DATE: CATEGORY:ドラマ
DVDがでていたので見た。

原作が、韓国の映画たしいが、
きちんとドラマとして良質な感じにできていたのではないかと思う。

「疾走」で、大杉蓮に殺されかかっていた手越祐也は、
怖くなかったのだろうかとか、思ってしまった。

最近の学園ドラマを見て、おもうことがある。
それは、「普通の教師・普通の生徒ではドラマが成立しない」
のではないかということである。

「ごくせん」や「女王の教室」など、ちょっと変わった形の
教師像でしかドラマが成立しないようになっているのではないか。
それだけ、生徒と教師の間が希薄になっているのかもしれない。
その間にある壁を壊すためには、ある種、特殊な教師を
持ってこなければ、ドラマとして成立しないのかもしれない。

現在、「生徒諸君!」とかあっているようだが、
視聴率が伸び悩んでいるらしい。
いわゆる、ありきたりの学園ドラマでは、
もう、視聴者が納得しなくなっているのかもしれない。

この「マイ・ボス マイ・ヒーロー」とかも、
生徒が、27歳だから、ああいう熱血振りが成立する。
いわゆる、普通の生徒だったらドン引きだったろうと思う。

そういう意味では、ヒーローの成立しにくい時代なのかもしれない。

関係ないが、塾を舞台とした本格的な学園ドラマを
作ってほしいな。
否定的ではなく、ありのままに描いてね。

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DATE: CATEGORY:雑記
地味なブログではありますが、
10000HITを達成しました。

ひとえに、このブログを見に来てくださっている、
かたがたのおかげと感謝しております。

これからもよろしくお願いします。

              管理人 伊雲
DATE: CATEGORY:教育
先日のメルマガで、「それでも、中学受験をしたほうがいい」ということを書いた。

自分は、「私立中学に行かなくても中学受験はしたほうがいい」と思っている。

自分がそう思う理由には、いろいろあるが、
そのうちの一つのエピソードを紹介しよう。

中学受験を終えた生徒は、基本的に中学からは学校が忙しく塾には来ないが、
個別指導のスタイルで、継続する生徒もいる。

そういう生徒の中で、小学校の時に、算数と理科が特に苦手な生徒がいた。
算数がぜんぜんできずに、テストの度に何度も何度も面談して、
なんとか、合格させた。

で、その生徒が、先日やってきてこういった。

「先生、小学校のとき、単子葉類とか双子葉類とかあったやろ?」

「理科でね。それがどうしたの?」

「小学校のころ、ぜんぜんわからないままに覚えていただけだけど、
 中学校になって、授業聞いたら、よくわかった。
 受験の時には、ぜんぜんわからなかったのに」

この話を聞いて、どう思うだろうか。

小学生に難しいことを授業しても
どうせ理解していないのだと思うだろうか。

自分は、そうは思わなかった。
なぜなら、中学生が、今、その勉強しても
なかなか覚えきれないのを見ているからである。

つまり、「小学校のころ、わからないなりに覚えていた」ことが、
中学に入ってからの理解に役立ったのだ。

教育心理学の言葉で、「レディネス」という言葉がある。

レディネス(教育準備性)とは、学習者があることを学習するとき、
それを習得するために必要な、精神的、身体的な条件が用意され、
準備されている状態をいう。

あることがらの習得に、学習者の身心の条件が準備されているとき、
すなわち一定のレディネスが成立していれば、
学習者は、その学習に興味を持ち、進んでこれを習得しようとし、
学習の効果をあげることができるが、
レディネスがなければ、その学習に興味がなくなり、
学習の効果をあげることはできないということである。

簡単に言えば、「勉強するときには準備ができていれば、そのことを理解しやすくなる」ということである。

人間が理解するということには、いろいろな理論があるが、
基本的には、「今まで自分の手に入れた情報とつなげて、理解する」というのが普通だろう。

数学などが、理解しにくいのは、抽象的で、日常とかけ離れているからだ。

そういう意味では、小学校の時に、曲がりなりにも、
そういう知識に触れているということが、それ以降の学習に大いに役立つと思う。

たとえば、中学受験で学ぶ消去算は、
中学で学ぶ連立方程式と同じことを小学生向けにしただけだ。
先日も中2の生徒(中学受験経験済み)が、
「先生、この問題。なんか解いたことがあるような気がする」と
いっていたので、
「中学受験の時にやったよ」というと、
「ああ、なるほど」と納得していた。

数学でも、こういう感じだが、
理科や社会は、いうまでもないだろう。

自分のことで恐縮だが、自分は、社会が得意だった。
じゃ、猛勉強したのかというとそうではない。
地理は、「日本特急旅行ゲーム」というボードゲームで、
歴史は、小学館の「マンガ日本の歴史」で、遊びながら知識を手に入れた。

そして、その知識をもとに、中学も高校も社会は、それほど苦労しなかった。

理科に関しても、図書館でよんだ学研の「ひみつ」シリーズを
小学校の時に、たくさん読んでいたせいで、
苦労をぜんぜんしなかった。

そういう意味では、小学校の時に、
早く知識に触れておくことは、必ずプラスになる。

中学入試は、その後の人生の基礎教養を作るうえで、大きな力になる。
先にあげたように、そして、最近、よく言われるように、
「楽勉」の工夫は必要だろうが、
中学受験をすること自体が、
おそらく、基礎的な知識層を自分の中に作ることになる。

要は「レディネス」をどれだけ、整えられるか。
それが、力をつける元なのだ。

だから、よく言われることだが、
新しい学校に入ったときには、
「習う単元を、目次で全部確認するとよい」という。

これから自分は、どんな単元を勉強するのかわかっているだけで、
ひとつの「レディネス」が、用意されたことになる。

そういう意味では、できない生徒ほど、「予習型」の方が、
いいかもしれないと最近思う。
できない生徒は、できるようになろうと、
どうしても「復習型」になる傾向がある。
しかし、授業でいきなり内容を聞いて、理解するより、
授業の前に予習しておいて、授業を聞くほうがいいのではないか。

だから、わかるわからないは別にして、「先に知っておく」。
そのことは、思っているより、効果が大きいと思う。

それが、自分が中学入試をしたほうがいいと思う理由の一つである。

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DATE: CATEGORY:教育
ちょっと前までは、英才教育といえば、
早めに算数・数学の勉強をすることだった。
しかし、最近、少し流れが変わってきている。

塾の中でも、上位クラスへの選抜試験に算数だけでなく、
国語を入れる塾が増えつつある。
いい傾向だと思う。

算数ができるいわゆる理系的天才もいるが、
実は、すべての科目を下支えする科目は国語だ。

国語ができないと、数学の文章題・応用問題が解けない。
また、福岡県の場合、記述の問題が増えていることもあって、
国語力は合否を分けるといっても過言ではない。

しかし、国語の勉強法に関しては、あまりはっきりしない。

よく聞くのは、「まず、たくさん読書をしましょう」ということだ。

しかし、これは、半分当たっていて、半分当たっていない。

読書をできる本好きな生徒は、文章を読む速さが早い。
そのことが、文章を読むときの武器になっているのは事実である。

しかし、本好きな子が読んでいるのは物語であり、
しかも、分析的に呼んでいる子はいない。
全体として読むから、面白いのであって、
問題のように、「主人公の気持ちを考えて」なんて読んでいるやつはいないだろう。

いわんや、論説文などを趣味で読んでいる生徒がいるとは思えない。

そういう意味では、読書だけをしていても国語の力は上がらない。

そこで、あんまり聞かない「国語」の勉強法について述べてみたい。

生徒に言うのは、「国語は漢方薬のような科目だ」と言っている。
一回一回の授業そのものは、
瓦にカーンとなったように、できるようになる授業ではない。
しかし、続けるうちに、成績が上がってくる科目である。

国語は、「毎日すれば確実に成績の上がる科目」なのである。
国語の問題は、学年に関係なく、パターン化されている。
文章の難易度は、使われている語彙の難易度であり、基本的な文章の構造は変わらない。
そして、切り口も似たようものが多い。
だから、国語は、毎日やれば、必ず点が取れる。
そして、解けるようになれば、どの学年でも解けるという、
ある意味「ありがたい」科目なのだ。

ところが、しない。
学校の授業スタイルにも問題があると思う。
一つの文章を、一ヶ月くらいかけて読む。
そんなことをすれば、誰でも「読めばわかる」と思う。

しかし、大事なのは、「時間内に、作者の言うことを読み取る力」である。
文章を解説してもらってわかるのは当たり前である。
それは、国語力がついているとはいえない。

自分の力で、国語の文章を読む解く力がついてこそ、国語力なのである。

それでは、どういう勉強をすればいいか。

その準備に必要なものは何か。
まずは、問題集選びだ。

問題集を選ぶときに、大事なポイントは、
(1)一つの文章で、複数の問題がついていること。
(2)解説が詳しいこと。また、どうしてその答えになるかが納得できること。

である。

まず、一つ目であるが、
国語の問題は、基本的に、
ある文章について問一から問十までぐらいあって、
接続語、指示語、選択問題、書き抜き問題などが、いくつかある形の問題が理想である。
要点要約などは、国語が苦手なうちは飛ばしてもいい。(どうせ解けない)
テキストによっては、指示語の問題だけ集めているテキストもあるが、
それでは、国語の解く力はつかない。

二つ目は、解説を読んでみて、
その解説できちんと解答にたどり着けるかである。
問題集によっては、解説がめちゃくちゃで、意味をなさないものがある。
国語の問題の大前提は、
「文章中から答えが導き出せるもの」というものだ。
しかし、解説に文章と関係ないものが突然出てきて、書いてあるようでは失格。
解説が詳しいものが、一番いい。

以上の点を考慮して問題集を選ぶ。

で、最初に選ぶ問題集は、あんまり厚くないものを。

そして、この問題集を、毎日一文章ずつ、読んでいく。
最初のうちは、論説文かためうちでもいいだろう。
ある程度つかめたら、論説文→小説→その他の順番で解いていく。

国語の問題集は、はっきり言って学年は関係ない。
「古文」と「文法」が違うので、解けなければ、とばすこと。

さて、解いていくときに、大事なことは何だろう。  (続く)

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DATE: CATEGORY:雑記
塾講日記ばかりになってしまった。

最低、週一で、きちんとした内容を書こうとすると、
それだけで、ブログがいっぱいいっぱいという感じだ。

そのほかのネタを書く元気がないというか。

今日は、DVDで見た、DRコトー2006と、
マイ・ボス、マイ・ヒローについても、書こうと思っていたが、
ちょっとエネルギー切れだ。

また、今度にしよう。

                伊雲
DATE: CATEGORY:教育
前回のメルマガに、あるブログの方から、返信をいただいた。
中学受験を経験されていて、今、娘さんが、高校受験をしようとされている方だ。

その方のブログを見て、思ったことがあるので、書いてみようと思う。
前の「中学受験は、親・子・塾の三位一体で乗り越えよ」の中で、
「中学受験は、親の受験」と書いた。

それでは、高校受験は、どうかというと、
「いかに、子供と距離をどうとるか」が大事な受験といってもよい。

高校受験には、大きな壁が親にとって、立ち塞がっている。
反抗期」である。

これは、すべての生徒にある。
「どうして、あんなに素直だったうちの子が」と思う人も多いだろうが、
基本的に、すべての生徒にある。

中学のころの、反抗期は自立のための大切なステップなので、
親としては、あるいは、教師としても、困惑し、悩むものだが、
なければならないものなのである。

むしろ、中学の時に、反抗期を親の力でねじ伏せてしまうと、
親がねじ伏せることができなくなる大学生ぐらいになって、
反抗期がくることがあり、これを「第三反抗期」という。

この第三反抗期は、手に負えない。
なんせ、体も大きくなっているし、自分で経済的な問題を解決できる。

その時期に反抗期をもちこさないためには、中学の時に、
きちんと反抗期を通過することが大事なのである。

特に、男の子は、基本的に反抗期になると親と話さなくなる。
これは、一般的傾向なのだが、
母親からすると、今まで素直だったのがなぜと思うが、
実は、ここが大事なところなのだ。

本人も、体の成長や、自分の心の変化に戸惑っている。
だから、自分でもコントロールできない。
自分でもコントロールできないのに、親に言われると腹が立つ。
その循環なのである。

しかし、実は、まだ、甘えたい気持ちもあって不安定でもある。
そのバランスが取れないでいるのか、反抗期の特徴である。

そして、この反抗期が来て、一番難しい時期といわれているのが、
中2、それも夏休みである。
詳しくは、また、夏休み前に書きたいと思うが、
逆に、中2で、反抗期が来ないと、受験に差し支える。
なので、うまく、この反抗期を過ぎ去らせることが大事である。

ほとんどの生徒が、中2になると成績が落ちる。
勉強しなくなる。しても、うまく、すまそうとする。
だから、逆に中2を、うまく現状維持の成績ですごせれば、
中3になって伸びる。

そういう意味では、この反抗期、中2の過ごし方が大事である。

で、このとき、小学校の時のように、親子べったりではいけない。
しかし、完全に放任してもいけない。


この時期に、マスターせねばならないのは「自立的学習」である。
自分で、学習の計画を立てて、それを実行する。
その学習法を確立せねばならない。

そうしないと、高校に入ったときに、ぜんぜん勉強ができなくなる。

わからない問題を、四苦八苦して、自分の力で、解かねばならない。
それが、大事なのだ。
「自分の力で」ここが、ポイントだ。
今までの「やらされ勉強」から、「自分の力で」解けるようにすること。
それが、高校入試の時のポイントである。

いうなれば、中学受験のときは、子供と親が両方が動力源でドッキングして走る感じ。
高校受験は、先に行かせながら、後ろをついていく感じといってもいいだろうか。

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DATE: CATEGORY:教育

ただ、ここで誤解してはいけないことがある。

「自立的学習」は、自分の力で身につけることはできないという
パラドックスがある。
「自立的学習」を身につけさせることは、大変なのだ。
それは、仕事で自分で動いてくれる部下をつくるのがどれだけ大変かと同じである。

松下幸之助が、新しい部長を任命するときに、
「任せて任せず」という主義でいったそうである。
大枠、任せるけども完全に任せることはしない。
常に、状況の確認は行っておられたそうである。

これとおんなじところがある。

だから、手を離してはいけない。
「子供が嫌がっても、言うべきことは言いつづけること。
しかし、言っても聞かないだろうなと達観すること。(笑)」がポイントなのである。

この時期、反抗期に入った生徒は、親の言うことを聞かない。
だから、「言わない」ではなくで、だから、「言う」べきなのだ。
ただ、素直には、聞かない。それもわかっていなければならない。

言うべきことは、言い続けなければならない。
しかし、その言ったことは、十年後に返ってくる。
それぐらいの気持ちで、肝っ玉になる。
それが、秘訣である。

自分が、反抗期に入った生徒には、どういっているか。
にこにこ笑いながら、「宿題やったかぁ」(この小さい「ぁ」がポイント)
雰囲気は、やわらかく、押しは強く。
これがポイントである。
自分は、宿題をやっていない生徒は、絶対に許さない。
じゃあ、どうするか。
してくるまで、何度も、聞く(笑)
会う度に「宿題やった?」と聞く。
すると、何度も言われるのがいやのか、やってくる。

絶対に、「もう、大人だから、好きにさせよう」とか
考えてはいけない。
好きにさせたら、生徒は勉強しない。
そんな面倒くさいこと、自分からするはずがない。

よく、保護者の方から、
「自主的に勉強してくれたら」という話をきくが、
そんなことは、経験上、ほとんどない。

ほとんどの生徒が、親から言われて、
「いやいや」やっているのだ。
「やらなければならない」からするのである。

違うのは、「やりたくないが、やらないといけないので、やる」のか
「やらないといけないが、やりたくないので、やらない」のか
この差なのである。

この「いやでも、やらねばならないのでやる」という姿勢が大事なのである。
「やらねばならないことは、やらねばならない」という責任感を持たせること。
この責任感が大事だ。

この責任感が、勉強するときに効いてくるのである。

ある意味、この「責任感」を、身に付けさせれたら、
反抗期は、クリアしたといってもいい。

そして、この時期、親の言うことは聞かないが、
塾の先生の話は聞く。
不思議なものだが、聞くべき相手を選んでいるのだろう。
だから、塾の教師をうまく使ってほしいと思う。

そうやって、反抗期をうまくクリアしてほしい。

イメージ的には、孫悟空を手のひらの上に乗せているお釈迦さまのような感じだろうか。(笑)

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DATE: CATEGORY:教育
asahi.comにて、次のような記事が載っていた。

 小学1年生で習う「一つ」を2年生の3割が書けず、
5年生で出てくる「支持」の「支」を書けた6年生は1割足らず――。

小学校の教員や大学教授らで作る日本教育技術学会向山洋一会長)が
全国の公立の約480校、3万8000人の児童・生徒を対象に行った調査で、
こんな実態が明らかになった。

 04年4月から5月にかけて、小2~中1を対象に前年度に習った漢字の「読み」「書き」の習得状況を調べた。
各学年で習う漢字のうち正答率が低かったのは表の通り。4年生分の「関心」の「関」を書けたのが2割にとどまり、
6年生で習う「従来」の「従」は8割強が書けなかった。

 平均正答率は、1年生分は89%と高かったが学年が進むほど低くなり、5、6年生分はともに66%。
同学会は、高学年になると授業で漢字を一つひとつ丁寧に教えることが少なくなる傾向が影響したとみており、
「読み」の平均正答率が各学年とも9割を超えたのと対照的な結果になった。

 同学会は、漢字学習を行った時間についてもクラスごとに尋ねた。その結果、約4割が「(授業ではなく)ほとんど宿題で」と回答。
「書き」の平均得点との関係をみたところ、高学年ほど授業で勉強したクラスの平均点が高いとの傾向が出た。
授業中にクラス全員で筆順を声に出しながら机や空中に指で字を書く「指書き」を行うと高得点になる傾向も見られたという。

                          以上、asahi.com から。

                      

私も、国語の授業をしているが、生徒の漢字力は、本当にお粗末だ。
しかも、当て字でも、「もうすこしまともな当て字があるだろう。」と
いいたくなるような当て字を平気で書く。

音声があっていればいい、といわんばかりに、意味などお構いなしだ。

漢字に意味がある、ということを解っていないのではないか思うぐらいだ。

漢字は、表意文字であり、漢字そのものに意味がある。

しかも、漢字の中でも、形声文字には、意味を表す部分と音を表す部分がある。
その意味を表す部分を、「部首」という。

こういう基本的なことさえ、ぜんぜんわかっていない子が、多い。

たとえば、「反」「板」「坂」「飯」という漢字。全部「ハン」と読む。
それは、「反」という部分が、この漢字の音をあらわしているからだ。

そして、「板」は、「木」が、「坂」は「土」が、「飯」は「食」が、意味を表している。

この部首についての知識が増えてくると漢字は、意味をつかみやすくなる。
しかし、この部首が何を意味しているのか、知らない生徒が多い。

この間、部首で話をしたのは、「橋」という感じだ。

この漢字、なぜか、禾(のぎへん)で書く生徒が多い。

そこで、聞いてみる。

「禾って何を表しているか知っている?」

「知らない」

「むぎわらや稲束を意味しているんだよ」

「へー」

「だから、禾で、橋を書くと、むぎわらの橋を渡ることになる。
 そんな橋渡るわけないだろ!!」

そういうと、生徒から笑いが起こる。

「だから、橋は、木へんなんだ。なんでかわかる?」

「前は、木でできていたから?」

「そのとおり。今なら、金へんでかかないといけないかもね」

こういうやりとりをすると、生徒は納得する。

こういう話もした。

これも、間違いやすい部首

「神社」の「しめすへん」と「被」の「ころもへん」

しめすへんは、昔は「示」と書いていた。
この字は、神様にささげる台を意味している字なんだ。
だから、しめすへんは、神様に関係あるものに付く。

ころこへんは、もともと「衣」という字だ。
似てるだろう。ちゃんと、点がついているだろう。
この字は、衣服を意味していて、「くるまれている」ことを意味する。

だから、意味が違うんだ。
似てるけどね。

神様に関係するほうは、ネ。
で、そうでないほうには、「点」がいるんだよ。

そんな話をしたりする。

部首の話は、意外と生徒たちには、新鮮らしい。

ここで、会意文字の一つである「峠」について話す。
この漢字は、形声文字ではないが、漢字の成り立ちとして面白い字だ。

この字は、いわゆる「国字」。日本で、作られた漢字。

「山」の「上」と「下」を分けるところで、峠なんだよ。

そうすると、「へー」という返事が帰ってくる。

まあ、これで、生徒の心をがっちり!というところだ。

まあ、こういう授業もたまにはやる。
ただ、こういう話は、小学校でやるべき話だろうと思う。
中学生が、部首を知らないのには、驚かされる。
もっと、小学校のうちに漢字を理解して覚えておいてほしいなと思う。

支持の「支」が書けなかったようだが、
多分、「指示」とごっちゃになっているのだと思う。

同じ「しじ」と読む字で、まったく意味が違う。

そういうこともあるのだろうが、
「学校で習っている字」が、
一割たらずしか書けないというのは、
授業として成立していないのではないかと正直思う。
学力低下ここにいたれりというところだろうか。

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DATE: CATEGORY:教育
中学入試をするために、塾に小学生が新しく来ると、
まず、思うのが、「正直、この子受験に耐えれるのかな?」という思いだ。
女の子で、おとなしそうな子だと、
「途中でやめちゃうのではないか」という思いがまず先にたつ。

そもそも、中学受験のカリキュラムをよく知らないで、
「学校では、よくできるほうなんですよ」なんて、平気で言ってくる保護者が多い。
こちらも商売だし、在籍は欲しいので、「大丈夫ですよ」とはいうものの、
実際には、「この子、きびしかろうな」と思いながら話している場合もある。
そうすると、案の定、一ヶ月くらいで、「宿題がきつくて」といって、
退館の話が出る。

一応、念のため言っておくと、中学受験をするためには
学校の授業など、ほとんど意味がない。
学校の授業で満点を取ろうと、塾の授業でついていける保証はない。

中学受験のカリキュラムは、
はっきりいって、高校入試より難しい。
そのことを、認識しないといけない。

先日、小5のクラスに新しい生徒が入館して、
親御さんが、「算数が一番得意なんですよ」とおっしゃっておられた。
ところが、実際の授業を受けて、小テストをすると、
15点満点ぐらいで、2点ぐらいしかとれない。
かなりショックを受けていたらしくて、早速「塾に行きたくない」といいだした。

まあ、こっちもそうなるのは、わかっているので、
補習等を組んだのだが、そのとき思いついて、
他の生徒に聞いてみた。

「塾に入って最初の算数のテスト、何点ぐらいだった?」
すると、あちこちから、「2点!」とか「1点!」とか、
生徒によっては、「0点」とかいう声が返ってくる。
それを聞いて、その新しい子も、安心したようだ。

四谷大塚の予習シリーズは、
算数は、一週間で、二単元の授業をする。
割合の問題とおうぎ形の公式、のように違う単元が融合されている。
塾によっては、それを単元別にわけて二週間でする場合もあるが、
四谷大塚のカリキュラムにあわせると、
一週間で、二単元理解せねばならない。
これは、生徒にはかなりの努力を要求する。

新しい生徒が、宿題を全部終わらせるのに、
2時までかかったなんてことをよくきくが、実際そうだろうと思う。
一応、「全部解けなくてもいい。わからないところには印をつけておきなさい」というが、
塾に入りたてのときは、「全部解らない」のが普通である。

だから、最初は、親御さんと塾と生徒が、
三位一体となって、やらなければいけない。
「塾に行かせているからなんとかなるだろう。」ということは、現実ありえない。

また、もう一つ、知っておかなければいけないのが、ゆとり教育の影響である。

生徒は、実は3桁の計算は、学校で習っていない。
小数第二位まである掛け算の計算も、教科書には載っていない。
だから、計算がほとんどできないと思っていい。

学校のテストで満点をとっていても、
塾のレベルで言えば、計算力はないに等しい。
そして、実際には、ゆとり教育で、習う学年が棚上げされている影響で、
中学受験の塾に行くと、一年ぐらい飛び級している感覚になる。

はっきりいって、塾に個別に新しい生徒のために
復習して単元を埋めているひまはない。
だから、夏期講習などの講習期にまとめて、復習をする。
それまでは、できなくても、わからなくてもかまわないと思っている。

そして、正直、あんまりにもできない子は
「受験をあきらめたほうがいいのではないか」と思いつつ、
在籍の問題もあり、「できるだけ、受験クラスで」と
保護者には、言ったりすることもある。

「小6になれば、大丈夫です」とか、
「講習で復習するから」ということを言われたら、
「今、手をかけている余裕がないのだ」と言われていると思わねばならない。

そして、それは、塾としては、当然のことでもある。
一人の生徒のために、他の生徒を犠牲にして復習などできない。
その生徒が、ついてくるまで、塾としてもどうしようもない。

また、これを親の側から見ると、どうなるか。
「なんで、ほかの子ができているこんな簡単な問題がうちの子はできないんだろう」と思う。
実際に、怒られることも多いと生徒は言う。

しかし、これは誤解だ。
なぜなら、現在の親の世代は、一番勉強量の多かった詰め込み世代。
ところが、生徒はゆとり教育の影響を受けて、習う内容が後送りされている。
親が、「確か、5年生でならったな」という単元は、基本的に5年ではやってない。
しかし、中学受験のカリキュラムは、昔のカリキュラムに近い。
だから、生徒は、飛び級をさせられている感じになる。
できるわけがない。

さっきいった「おうぎ形の面積」は、簡単なもの(90度とか)だけが小6で、
あとは、中学に棚上げされている。
しかし、親からすると、「こんなの小学校の時にやっただろう」と思うのだ。

ほかの子ができているのは、その「新しいカリキュラム」で勉強する流れに入っているからだ。
言い換えれば、すでに飛び級を済ませてしまっているので、楽になっているからなのだ。

だから、中学受験をさせるときには、必ず親の手助けが必要である。
情報をきちんと持っておかないと親子共倒れになる。
現実には、中学受験は、親の受験と言われるほど、親の力が必要である。
その現実を、知っておいて欲しいと思う。


ただ、自分は、そこまでしても、中学受験はしたほうがいいと思う。
中学受験でしか学べないカリキュラムが、かなり増えてきている。

今、日本には、二つのカリキュラムがある。

ひとつは、文部科学省の「ゆとり」のカリキュラム。
そして、もうひとつは、中学受験で使われている四谷大塚などのカリキュラム。

学校の中でも、上下の差があると思うが、
その外で、中学受験をしているメンバーは、
さらに違うカリキュラムで勉強している。

表面上はわからない「格差」が、日本の中では、すでに行われている。
そうして、こういうことを知っている保護者は、中学受験をさせる。

そうして、一方、「中学受験は、特別な生徒が行うもの」という風に
いまだに思っている保護者もいる。

その「知らない」ということが、実は、どれだけの差であるか。
それ自体、わからないというのが、この「教育格差」の怖さでもあるのだ。

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タグ : 中学受験 文部科学省 ゆとり

DATE: CATEGORY:政治・経済・国際
と、聞いて、何のことかわからない人もいるだろう。
私も、昨年まで、知らなかった。
昨年、竹村健一さんと渡辺昇一さんのブログを見て、しったのだ。


4月28日は主権回復記念日です。

昭和27年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し、
我が国は約7年に及ぶ占領
から解放され、主権(独立)を回復しました。(中略)
独立記念日は世界の国にあります。日本にはありません。
日本の独立を回復した4月28日を主権回復記念日として祝い広めていきましょう。

                 渡辺昇一.com より

これは、昨年の渡辺昇一教授のブログからの記述である。
そう、4月28日は、日本が、占領期を終え、
「独立を回復した日」なのである。

竹村健一さんや渡辺昇一教授のブログは、
情報源として読んでいるのだが、
この二人に、共通して書いてあった記事で、
印象に残った記事が、去年、これだった。

そして、昨年、竹村健一さんのブログに、
掲載されていた記事が以下である。


この話を数年前にテレビで初めてしたとき、
実は政治家にも知らない人たちがいた。
その日のゲストでただ一人、
いまは外務大臣として頑張っている麻生太郎氏が
「日本の独立記念日ですよ」と答えた。
なぜ麻生氏が知っていたのかというと、
氏が小学生のとき、
祖父の吉田茂首相とともに靖国神社参拝をしたからだという。
吉田首相は、「今日は、日本が独立した日なんだよ」と、
小学生の麻生氏に教えてくれたと、
思い出を語ってくれたのが印象的だった。

           「竹村健一 これだけBLOG」より


 この話を読んで、
「実際に独立を勝ち取った人々の思いやいかばかりか」
ということが、感じられた。
そうかんがえると、GWは、4月28日と29日という、
 「昭和」と「日本」に関係ある大事な日が、
並んでいたのだなと新たな感慨も生まれてきた。
(ご存知だと思うが、4月29日は、昭和天皇誕生日)
こういうことは、意識的か無意識的か、ぜんぜん表に出てこないが、
もっと私たちの世代が知るべきことであると思う。
「4月28日を国民の休日に」ということも書いてあったが、それもいいかもしれない。
          
昨年もとりあげた記事ではあるが、
今年も取り上げてみた。

4月28日そして、29日この二つの「昭和にかかわる日」に
改めて、昭和について思いをはせてみたいと思う。

                伊雲


DATE: CATEGORY:教育
新学期が始まり、新たなる担任担当と子供たちが
出会う機会も多いと思う。

そのときに、知っておくべき、教育心理の言葉がある。
それが、この「ハロー効果」と「ピグマリオン効果」である。

まず、ハロー効果から、

ハロー効果(-こうか、Halo effect)とは、心理的効果の一つ。ある対象を評価をする時に、顕著な特徴に引きずられて他の特徴についての評価が歪められる現象の事。

   出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

この「ハロー効果」は、別名光背効果とも言われる。
「後光が差しているように見える」と言ってもいいだろうか。

「親の七光り」という言葉もあるが、
実は、これは、この「ハロー効果」で説明される。

有名な「ハロー効果」は、「彼女がいる男は、いい男に見える」という現象だ。

これを、教育でいうとどういう形でおこるかというと、
「兄が優れていると、弟も優れているだろう」と思う。
ということである。

もう一つのピグマリオン効果についてはどうだろうか。
実は、この効果。ものすごく怖い。


ピグマリオン効果(ピグマリオンこうか、英: pygmalion effect)とは、教育心理学における心理的行動の1つで、教師の期待によって学習者の成績が向上する事である。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


これは、「教師の期待度に合わせて生徒の学力が向上する」と
いう実験結果が出ているもので、
「教師の期待は、生徒の成長を促す効果がある」といっても
いいだろう。

これは、おそらく教師だけではない。
「かかわるものの期待によって、生徒の成績は変わる」と
いうことである。

おそらく、これは、生徒にその気持ちが伝わること、
教師もそういう期待をした眼でみることにより、
熱が入ること、などの理由もあるのだろうが、
心理学の実験として、結果がでていることである。
(批判もあるが)

これを、まとめると、
「教師にどのように思われているかで、生徒は変わる」と
いうことである。
だから、教師からどのように思われているかということは、
結構、影響が大きい。

これは、気のせいなどではないということを、
知ってほしい。

また、教える側に立つものは、
「自分たちが生徒をどう評価したか」によって、
生徒たちが変わっていくのだと、自戒せねばならないだろう。

そう考えると、教師というのは、
まさに、「聖職」なのだと、改めて実感するところである。

DATE: CATEGORY:教育
自分のメイン担当の科目は、数学だ。
最近、他の科目をすることが多くなって、
改めて数学の授業をすると、
その難しさに改めて気づかされる。

数学が難しい(できるようになるのも、教えるのも)理由は、
いろいろあるが、
(1)完全に解くことが難しい。
(2)解答パターンをつかむことができない。
(3)わかっているけれども、とけない。
   あるいは、解けるのに合わない。

こういう理由があるのではないかと思う。

自分は生徒によく、
「数学は、技術系の学問だ」と言っている。
ようは、「体で覚える学問だ」ということだ。

よく例に出すのは、かんなの使い方。

「みんな、かんなは、引けば使えることは、知っているだろう。
 でも、かんなを実際に引けないだろう。
 それと同じように数学も技術系の学問だ。
 知っているだけではだめ、わかるでもだめ。
 何度もやって、玄人にならないといけない」

というようなことをいう。

そもそも数学ができない理由には、
まず、「覚えられない」ということがある。

他の教科と比べて算数・数学が難しい点は、
まず、他教科は、きちんと覚えなくても
意外と点が取れるのに、
数学は
「とき方をきちんと覚えないとスタート点にも立てない」
ということから始まる。

他教科は、必ず記号問題というものがある。
国語は、「抜き出せ」だ。
ある意味、答えが書いてあって、
「正解を、うっすらと覚えておけば」解ける。
あるいは、探せばいい。

ところが、数学は、完全に「じぶんのもの」に
しなければならない。

先日も、小学生に数列の授業をしていたのだが、
数列の公式は、

N番目の数=最初)+差×(N番目-1)
個数=(最後-最初)÷差+1
和=(最初+最後)×個数÷2

である。
この理屈を説明するのには、ガウスの話や
いろいろと話をする。
そうすると大体のメンバーは理解する。

ところが、次の授業の時、これを、覚えているかというと
すっかり消えているのである。
言葉や感覚があいまいで、公式が全部合体して

N番目の数=(最初+最後)÷差×個数+1とかいう
奇天烈な公式を作り出すものもいる。

数学は暗記科目である。
しかも、シビアな暗記科目である。
この最初の段階を超えなければ、
何にもできないという科目なのだ。

しかし、このことをわかってない人が多い。

最近の小学校の「問題解決型授業」とかいうのも、
同系の誤解のものにあると思う。

生徒は、「理解すること」によってのみでは、
数学はできるようにならない。
まず、「とき方・公式を覚える」ことが先なのである。

たとえば、私は、方程式は移項を先に教える。
教科書には、
「=の両側に同じ数を足したり引いたりすると等式が成り立つ」
という説明をして、移項を教えるようになっているが、
この順番で教えると、
必ず、生徒は符号で混乱する。
まず、先に移項を教えて、
そのあと「なぜそうなるか」を教える。

何年も授業をしてきて、
完全にこっちのほうが生徒の理解は早い。

まず、とき方を覚える。
そして、あとで理由を考える。
これが、数学を勉強するときの基本姿勢である。

分数の割り算で、なぜ逆数をかけるのか、
説明できる人は、大人でも少ないだろう。
しかし、計算はできる。
「分数の割り算は、ひっくり返してかける」と言えばいい。

これが、私が「数学は技術系の学問である」という理由である。
だから、新しい単元を勉強するときは、
「この問題は、どういう作業で解くのか」ということを、
「覚える」べきなのである。
「理解する」だけでは不十分である。

これが、数学の出発点である。

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DATE: CATEGORY:教育
しかし、これだけでは数学はできるようにならない。

数学は、「技術系の学問である」
ならば、習得するためには、「訓練」が必要である。

数学ほど、「知っている」こと、「わかる」こと、
「できる」こと、の差が大きい学問は少ないだろう。

知っている。でも解けない。
わかっている。でもといたら解けない。

こういうことが多いのではないだろうか。

自分が生徒に言うのは、
「数学は、解っている、解けるには、意味がない」
「できる。いつといても合う。
そこまで持っていかねばならない。」
ということだ。

「過剰学習」という教育心理の言葉がある。
できるようになって、さらに自分で解いてみることで、
完全に自分のものになるのである。

だから、自分は、わざと宿題を授業の内容の問題で出し、
その時間の最後をわざと余らせる。
そして、「時間があまったから宿題やっていいよ」と言う。

そうすると生徒は、喜んで説く。
そして、授業でやった内容を、結果的に、「復習」していることになる。
有名なエビングハウスの忘却曲線を引くまでもなく、
学習直後の復習は、一番効果的だ。
この「直後復習」の効果を実体験していただきたい。
それまで、最下位に近かった生徒が、
私が担当したとたん、
全科目の中で、一番いい科目になったのだから、
その効果は覿面である。

塾から帰って来ての五分間。
それが大事である。

最後に、そのほか数学をできるようになるために
実践的方法をいくつか。

まず、「計算専用の紙」を用意すること。
である。

「本当は、きれいに」といいたいところであるが、
数学が得意な生徒のノートは、実は案外整っていない。
はっきり言ってしまえば、「計算紙」なのである。

私も、小テストの時は、B5の小テストでも、
わざわざ、白紙をつけて、B4にする。
そこで、計算できるようしている。

家庭でも、裏紙とか使えるところはそれでもいいし。
ホームセンターとかにいけば、紙は安いので、
計算用に、大きく、計算を変える紙を用意するだけで
成績は上がる。

まず、第一に、ミスが減る。
そして、「実際に解いてみる」という形がとれるからだ。
これは、思った以上に効果がある。
数学が、できないという人には、
計算用に、「好きに使える紙」を用意するといい。

また、日記をつけさせたり、
言語能力を鍛えることも大切だ。
意外と指摘されていないが、
数学が得意な人は、自問自答ができる。
心の中で、もう一人の自分と対話しながら考えている。
そして、それがときには「独り言」としてでてくる。
数学ができないと思っていたら、言語能力がない場合も多い。
文章題ができない場合は、基本的に国語力の欠如である。

東進予備校の出口先生が、論理エンジンの話をされているが、
私も、「国語力が上がれば他の教科も上がる」と思う。
交換日記とか、結構、数学を上げるのに役立つのではないかと
思ったりもする。

長々と述べてきたが、
「数学は暗記科目であり、技術系の学問である」ということである。
いろいろいったが、
数学が苦手な人は、「まずとき方・公式を覚える」こと、
そして、「何度も解くこと」という
古典的方法が、やはり、一番効果的な勉強法であるということだ。


                  伊雲

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