スプートニク・ショックによる現代化教育運動は、
日本でもアメリカでも同じような結末を迎えたようだ。
1977年、日本において、初めて学習指導要領で、
「ゆとり」ということばが出てくる。
そして、それから、向こう30年に渡って、
この「ゆとり教育」における削減が、行われていく。
最初は、「授業をしない授業」の設定からである。
これは、私の世代は、ご存知かと思うが、中学校のころに、
「ゆとりの時間」とかいう、まったく何に使うのかわからない、
時間ができた。
ほとんどは、部活の時間に割り当てられたが、
なんとも中途半端な時間設定であった。
そして、
日本の歴史上、大きく教育を変えたのが、
1995年の指導要領改定、
いわゆる、「第一回教科書削減」である。
このとき、テーマにされたのは、
「生きる力、自ら学ぶ力を育てる」というスローガンだった。
このとき、実は、ゆとり教育とともに、導入され、
現在も諸悪の根源と言われている考え方がいくつかある。
それが、「勉強に対する意欲・関心」という評価である。
定期テストの成績がよくても、
授業中の態度や、提出物の提出が悪いと、
評価が低くなるという制度である。
これによって、学校教師の恣意的な判断が、
幅を利かせることになる。
「とりあえず、手を上げておけばよい」と
言われたのもこのころである。
また、計算を何度もやったり、漢字を何度も書かせたり、
いわゆる、暗記や計算訓練などの奴隷的学習は、
「古い学力」であり、これからの時代には、
必要ないとされた。
計算は、電卓で。漢字は必要なときに辞書を使えばよいと。
この電卓マークは、現在も教科書に載っている。
実際には、電卓で計算をさせている学校は
もうないようだが。
このとき、過去の「詰め込み教育」は
全部否定されてしまった。
問題だったのは「現代化教育運動」による
プライドのための「詰め込み」だったのが、
「詰め込むこと自体が悪い」といわれるようになった。
そして、「すべて平等でなければならない」という考え方が、
学校に入りだしたのが、この時だ。
この考え方の基は、実は、学生運動のもとになった、
マルクス主義的な考え方であり、
実は、「ゆとり教育」そのものが、
マルクス主義を教育の中で実践しただけのものだ。
格差をなくし、みんなを平等に扱う。
しかし、実際には、努力したものと、
努力してないものの差が生まれるものは当たり前である。
しかし、それを、切り捨てて、同じにしようとした。
そのために、
「すべてのものが理解できるレベルの教育」をという、
ありえないことを実現しようとした。
この1995年の改定が、
悲惨な結果をもたらしていることは、
すでにご存知だろう。
西村教授の書「分数のできない大学生」などの書にあるように、
基礎計算のできない大学生が大量に増え、
また、中学校・高校でマスターすべき知識を
習得していない大学生を大量に生み出し、
大学では、中学・高校の内容の補習をしないと、
まったく大学の内容についていけなくなっている。
しかし、これは、まだ、「1995年の削減」の影響である。
これより、さらに大変なのが、「2002年の削減」だ。
(続く)
『伊雲の塾講日記』(ID:0000231728)
右上からメールアドレスを入力してボタンを押すと登録・解除できます。ブログランキング、参加中↓よろしく!
お久しぶりです☆
http://jeeee.net/url/13750.html
コメントの投稿